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ご存知の通り…
全国どこにでも当たり前の様に美容室があって
そこに何かしろの形で従事してる美容師がいて
お客様が来店し、施術をする
そういった当たり前を、当たり前と思わないほど常識的な環境で我々は受動的に美容師をしているわけ
そんな常識が崩れるかもしれない
そもそも既に思ってるのだけど
美容室はもはや一種の施術する場所にしかすぎない
つまりこんなにグローバル化が急速に加速している中で、同じ場所にとどまる必要があるのかということ
それは顧客も美容師も同じ
長い様で短い人生の中であまりにも視野が狭すぎるのではないか?
美容室=会社という発想はなく、つまりは美容室は現場である
教育でいえば近年は様々な選択肢が出来るわけだ、つまり会社個々にあるスタイリスト試験というものはあくまでもその教育者の俯瞰でしかない
正解が顧客の満足度であれば、もはや1つの場所で教育を受けていることが乏しい気もする
では、朝礼も終礼も会議もなんの意味があるのだろうか?
結局は実力不足の人材の為に全員が動く非効率なやり方になっている
1人の100歩よりみんなの1歩と言いますが僕はそれが馬鹿らしい
なぜ誰かに自分の行動を奪われないとならないのだ
そういった美学や常識にとらわれて、それが正義だの悪だの決めているのがおかしい
みんなの1歩が悪いと言いたいのでなく
その前にみんなという人達がしてるその行動がそもそも間違ってると言いたい
会議もそうだ、結局は数名の向上心のない人の為にみんなが犠牲になるわけ
そもそもそんな向上心のない人を切り捨てるほどに、人材が溢れていれば良いが
それが中々出来なくて苦労している経営者も多いだろうね
ならば美容室という場所は職場なのか?
僕はただの現場という見方なのだけど
もはや働く環境の改善が進んでいるが、そのアップデートに働く側の教養がそもそも追いついてない人が多いと僕は思う
例えばざっくりだけど
自由を与えれば→ただ怠けるだけ
給与を増やす→勘違いして更に要求が増えるだけ
こういった働く側のリテラシーが低い人が多いが故に、会社も1歩踏み出したくても難しいのである
なら給料なんて制度はやめたらいい
両者はあまりにも非生産的である。
もはや常識にとらわれずに、全てを捨てていく覚悟がある美容室が今後強そうだ
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